印象派についてご興味を持っている皆さんへ
はじめて印象派に興味を持ったのはモネの「睡蓮」を観たときでした。
2012年、二十六年ぶりにパリへ行き、印象派絵画が数多く貯蔵されているオルセー美術館とオランジェリ―美術館に行きました。この2つの美術館には多くの日本人旅行者が訪れます。
オランジェリー美術館、2つの部屋一面に飾られたモネの「睡蓮」は圧巻でした。
特にオランジェリ―美術館には、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、エドガー・ドガ、カミーユ・ピサロなど、印象派と呼ばれた多くの画家たちの絵が飾られています。
印象派とは、19世紀後半フランスで始まった絵画を中心とした芸術です。誕生の背景は、光学理論、チューブ入り絵具、写真技術に加え、ジャポニズムが大きく影響を与えたと言われます。
日本人は印象派を好みます。キリスト教や君主の意向が強かったそれまでの作品と異なり、日本人には理解しやすかったのでしょう。印象派画家もジャポニズムに興味を惹かれたことは、同じ理由があったのだと思います。
翌日、モネが後年の半生を過ごしたジヴェルニーに行きました。モネは1883年にここに家を借り、1926年にこの世を去るまで、約40年間過ごしました。庭には「睡蓮」の池と青い橋、そしてきれいな花が咲き乱れています。彼が愛してやまなかったこの庭で、存分に絵を描き続けていただろうと、当時のことが想像できるすばらしい庭です。
印象派の多くの画家を生んだパリ。モネも、パリの大改造が始まった6年後の1859年にパリへ出て、画塾に通いはじめています。
印象派の中心人物、また印象派が登場した時代背景など、見ていきたいと思います。
「印象派の父」として精神的に彼らを支えたマネから、常に印象派の中心にいたモネ。。。多くの画家が印象派に分類されます。
- エドゥアール・マネ (1832-1883年)
- クロード・モネ (1840-1926年)
- ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841-1919年)
- エドガー・ドガ (1834-1917年)
- ベルト・モリゾ (1841-1895年)
- ギュスターヴ・カイユボット (1848-1853年)
- フィレデリック・バジール (1841-1870年)
印象派を進展させた画家はさらに後期印象派と新印象派に分類されます。
後期印象派の3人 セザンヌとゴーギャン、そしてゴッホ
セザンヌは平面的な色使いと小さな筆致を使って複雑な画面を単純な形状に還元する手法を生み出し、キュビズムや未来派の先駆者と言われます。ゴーギャンは特定の色だけを選んで画面に再構成する手法を考え出し、フォーヴィスム誕生へ影響を与えました。そしてゴッホです。彼は自らの頭と心に見えるものを線や色彩を自由に扱い、原色だけを塗り重ねたその激しく力強い筆致は近代美術の基礎を作ったと言われています。
- ポール・セザンヌ (1839-1906年)
- ポール・ゴーギャン (1848-1903年)
- フィンセント・ファン・ゴッホ (1853-1890年)
新印象派の2人 スーラとシニャック
スーラとシニャックは光と色彩をもっと科学的、理知的な原理に基づき機械的な手法で描きました。原色を隣り合わせて、絵の具同志が直接混ざることを避けるといった点描画法と呼ばれた手法です。観る者にとっては理想の色彩として映るように計算されたものでした。バウハウスなどの絵画理論の基礎となっています。
- ジョルジュ・スーラ (1859-1891年)
- ポール・シニャック (1863-1935年)
印象派画家を主人公にした映画
印象派画家を主人公にした映画がいくつかあります。
①『ルノワール 陽だまりの裸婦』2012年
ルノワールの最晩年の傑作「浴女たち」の誕生秘話を描いた作品です。第86回アカデミー賞外国語映画賞フランス代表作品に選出されました。 舞台は1915年のコート・ダジュール。74歳になったルノワールは関節リューマチを患い、絵筆を持つことすら困難となり、もっぱら車いすで政策をしました。そんなとき、若く美しい女性が絵のモデルにと訪れます。。。
② 『画家モリゾ、マネの描いた美女 名画に隠された秘密』2013年
③『セザンヌと過ごした時間』2016年
セザンヌと文豪エミール・ゾラの長年にわたる友情を描いていた作品です。セザンヌとゾラが、10代前半から長年にわたる友情を育みながらも、40代後半で絶縁に至った。しかし真実は。。。
④『ゴッホ 最期の手紙』2017年
ゴッホと同じ技法を用いて、 キャンバス上に油絵で描かれ制作された全編絵画の長編アニメーション化した伝記映画です。郵便配達人の息子がパリへ届ける一通の手紙を託される。それ手紙は父の友人で自殺した画家ゴッホが、彼の弟テオに宛てたものだった。ゴッホの死の原因は何だったのか、真実に迫っていく。。。
⑤『ゴーギャン タヒチ、楽園への旅』2017年
印象派を支えた人々
印象派画家による多くの傑作が、世界中で現代の私たちの目を楽しませてくれています。
彼らに多くのヒントを与えてくれた先輩画家、彼らが無名の時代にたくさん作品を買って支援してくれたパトロンや美術商、そしてアカデミーを痛烈に批判し、印象派画家の作品を認めさせていった批評家や文学者、かれらの存在無くして印象派は生まれませんでした。
画家は時間を見つけてはルーヴル美術館に通って模写する、あるいはルネッサンスの本場イタリアへ行き、いろんな絵を見て回るだど貪欲でした。自分のヒントを見つけるために。。。
ウジェーヌ・ドラクロアの「アルジェの女たち」 → ルノワールの「オダリスク」
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの「ノラム城、日の出」 → モネの「印象・日の出」
それぞれ大きな影響を与えていることで知られています。
芸術全般や化学と同じで、印象派画家の絵画も過去の名作の上に、一生懸命創意工夫し改善を繰り返して制作されてきたものです。
印象派など、新古典主義への抵抗から生まれた芸術活動
印象派もそうであったように、アカデミーやサロンに対する抵抗から、たくさんの芸術活動が生まれました。
新古典主義は18世紀末~19世紀前半に西洋絵画の軸となっていました。それは次のようなものでした。
- フランス美術界の最高権威を示す機関、芸術アカデミーが承認する
- 教育は伝統的、古典主義的な作品が理想とした、国立美術学校で勉強する
- 最終的に、サロンが作品を評価する
この時代は政治、経済、社会が目まぐるしく変化していきます。
新しい多様性の時代に入ったにも関わらず、古典主義(ギリシャ・ローマ文化を理想とし、ルネサンスを基本とした、昔ながらの宗教や歴史を中心とした考え)に固執した組織が全て牛耳っていました。
これに抵抗し、文化的抵抗運動が沸き起こりました。
- ロマン主義(Romanticism):18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで起こった「合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた」一連の運動
- 写実主義(Realism):1850年半ばに主にフランスで起こった「現実を空想ではなく、ありのままに捉えようとする」一連の運動。 現実主義、リアリズムともいう
印象派以降の芸術活動
「印象主義」は、ルネサンス以来の遠近法と陰影法による立体的な絵画から、光の移ろいの中で画家が感じた主観的で印象的な絵画への革命を起こしました。その後、「後期印象派」と「新印象派」と言われる画家がさらに印象派の画法を進化させ、現代美術へと発展していきます。
19世紀末には内的感覚や神秘的な観念などを視覚化した「象徴主義」、植物文様や昆虫などの有機的素材を装飾した「アール・ヌーヴォー」など、様々な地域で新たな芸術活動が起きて行きました。
20世紀に入ると、象徴主義ギュスターヴ・モローの教えを受けたマティスなどの画家たちが、物固有の色を完全に無視し、原色と激しく奔放な筆触により描かれた「フォーヴィスム(野獣派)」を、ピカソやブラックが「キュビスム」を誕生させました。同時にドイツでは、エドヴァルド・ムンクなど、画家自身の心の内部の世界を表現した「表現主義」が登場していきます。