広さは山手線の中ぐらいでしょうか。徒歩だけでたくさん観光名所を回ることができます。
20の行政区に分かれ、各区の番号は、市の中心から始まり時計回りにらせんを描くように付けられています。当然中心部が小さく、外にいくに従って大きくなることから「エスカルゴ」に例えられます。
モンマルトルの丘は印象派画家の聖地 テルトル広場でランチを食べよう
パリに行くと、必ず、モンマルトルの丘は登ります。一番の目的はテアトル広場で、画家が絵を描いている風景を見ながらビールを飲むことと、リーズナブルな絵を1枚購入することです。これまで買った4枚の絵は、家の玄関に飾っています。
スポットがたくさんあり、今でもパリの一大観光名所として賑わっています。
モンマルトルの都市化もパリ改造計画と同時に始まりました。19世紀の中頃です。
パリ改造計画によって、中心部に住んでいた多くの市民が近郊への移転を余儀なくされ、その移転先の一つがここモンマルトルでした。この辺りはワイン農園もたくさんあってお酒が安く飲めましたことで、次第に、カフェ、ムーラン・ルージュをはじめとするキャバレー、ダンスホールなどが軒を連ねる歓楽街となって行きました。多くの芸術家、アバンギャルドがこぞって移り住みました。絵画では印象派にはじまり、フォービズム、キュビズムなど後世に名を残す多くのアーティストがアトリエを構え、傑作を生み出した場所です。
1860年には18区としてパリに併合されています。
シテ島と言えはノートルダム大聖堂です。まず中に入ってみましょう
紀元前250年ごろ、パリの歴史はここセーヌ川に浮かぶシテ島から始まります。
シテ島は小さな島ですが、ゴシック建築の最高峰『ノートルダム大聖堂』、ステンドグラスが部屋一面に張りめぐらされた『サント・シャペル』、フランス革命時の牢獄として知られる『コンシェルジュリー』などスポットが集まっています。
『ノートルダム大聖堂』は、何かに導かれたように(実は妻の方が) 何度も足を運びました。ユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』でも有名ですね。ユゴーはノートルダム大聖堂の重要性を訴えました。
シテ島の上流は、閑静な高級住宅街が軒を連ねたサン・ルイ島になります。女優の岸恵子さんが住んでいることでも有名です。
サン・ジェルマン・デ・プレとカルチェ・ラタン 文学と芸術の街 エドゥアール・マネはここで生まれ、『サン・ジェルマン・デ・プレ教会』で洗礼を受けた
この地域はセーヌ川の左岸になります。
サン・ミッシェル大通りを境として、セーヌ川に向かって左手がサン・ジェルマン・デ・プレ、右手がカルチェ・ラタンです。 知的で洗練された地域と言われ、昔から文化人が多く住んでいた地域です。セーヌ川の右岸のにぎやかさとは全く雰囲気が変わります。
サン・ジェルマン・デ・プレは静かで落ち着いたエリアです。
サン・ジェルマン・デ・プレは名前の通り、6世紀に建てられたフランス最古の教会『サン・ジェルマン・デ・プレ教会』を中心とした地区で、とにかく、静かで落ち着いたエリアです。
『サン・シュルピス教会』 は映画『ダ・ビンチ・コード』でも有名になりました。私が撮り溜めている教会内の映像がたくさんあるので、ビデオを見返したとき「どの教会だっけ」と分からなくなることがあるのです。でも映画で出て来るオベリスクがを見て、「ああ『サン・シュルピス教会』だ」とわかります。パリで2番目に大きい教会です。
日本では「悪の華」で有名な、19世紀の偉大な詩人シャルル・ボードレール生誕の地もあります。その他、最後まで印象派を否定し続けた科学や芸術のアカデミー『フランス学士院』、国立高等美術学校『コール・デ・ボザール』などが有名です。
印象派とのゆかりを見ていくと、エドゥアール・マネがサン・ジェルマン・デ・プレで生まれています。彼は『サン・ジェルマン・デ・プレ教会』で洗礼も受けています。その他、ポール・ゴーギャンの住居とアトリエ、フレデリック・バジールのアトリエなど、印象派画家とゆかりの場所が数多く残っています。
一方、カルチェ・ラタンは『ソルボンヌ大学』を中心とした学生街
私が好きな『パンテオン』もあります。
カルチェ・ラタンの意味は「ラテン地区」です。名前の由来はフランス革命までラテン語が話されていたからということです。
この地区には2度、宿泊(K&Kホテル)しました。ここのホテルはお薦めです。地下鉄の駅から30秒でセーヌ川まで500メートルの場所にあり、『オランジェリ―美術館』、『ルーヴル美術館』、『ロダン美術館』へも歩いて10分圏内と大変便利でした。
Coming Soon!
- サン・シュルピス教会
シャンゼリゼ大通りは全長3キロに及ぶ一大ショッピング&グルメ通り
シャンゼリゼ大通りは、『コンコルド広場』とシャルル・ド・ゴール広場を結ぶ、幅100メートル、全長3キロに及ぶ一大ショッピング&グルメ通りです。
「オー・シャンゼリーゼ」( Les Champs-Élysées) は60歳以上の方は一度は聞いたことがあると思います。1971年日本で「歌うフランス人形」として売り出されたダニエル・ビダルという歌手が歌って大ヒットを記録した歌です。
「街を歩く、心軽く、誰かに会えるこの道で、素敵なあなたに声をかけて、こんにちわ。私と行きましょう。オー・シャンゼリーゼ 、 オー・シャンゼリーゼ、いつも何か。。。」
2021年1月、「シャンゼリゼ大通りを「特別な庭園」 へ生まれ変わらせる巨大プロジェクトが既に実行されている」という驚くべきニュースがありました。これで楽しみはまた増えました。
原文は aris’s most famous street is becoming a huge urban garden です。
世界的に有名なシャンゼリゼ通りには、2030年までにまったく新しい植栽地と「木のトンネル」が並ぶ予定です。緑地が圧倒的に不足しているパリ市は、2030年までに「植林地」で市の半分をカバーするという公約に向けて進んでいます。主要なランドマークと世界最大の4つの森林を植える作業はすでに進行中です。。。シャンゼリゼ通りは、2億5,000万ユーロの大規模なイメージチェンジの一環として、大規模な再設計に先手を打っています。コンコルド広場から凱旋門まで伸びる1.9kmは4車線から2車線に減らし、歩行者と緑のエリアを作り、「ツリートンネル」を植える。
巨大な緑地都市になります。
エッフェル塔はパリの象徴、シャイヨー宮界隈は万国博覧会のにおいがプンプン
観光で特に有名なところでは『エッフェル塔』とナポレオンが眠っている『アンヴァリッド』でしょうか。
『エッフェル塔』はパリのどこからも見ることになる最大のモニュメントです。「パリ大改造」を推し進め、現在のパリの基礎を作ったオスマン男爵もさぞびっくりしたことでしょう。
エッフェル塔はいつ、どこから見てもその姿が美しい!!!
エッフェルブラウンと呼ばれているブロンズ色です。また、パリの風景に溶け込みやすいよう、塔の下部はより暗い色調、塔の先端部はより明るい色調に塗り分けられています。この色調が重厚感をだしているんだと思います。
Coming Soon!
- シャイヨー宮
マレ地区 歴史保存地区としてフランス革命前の建物が残る
シテ島からセーヌ川を右岸に渡ったマレ地区は、オスマンによる「パリ大改造計画」の構想から外れたため、歴史保存地区としてフランス革命前の中世の建物が数多く残っている貴重なエリアです。
ヴォージュ広場の回廊には小説家ヴィクトル・ユゴーが暮らした家があります。一方、中世とは相対するように、近代文化を紹介する『ポンピドゥーセンター』があります。今は、オシャレなセレクトショップやカフェが並んび、古着をはじめファッションの街として、大いににぎわっています。
『ピカソ美術館』もこのエリアです。
オペラ座とルーブル界隈 観光の中心で日本人にも大人気、ラーメンの味も本格的になってきた!!
『オペラ・ガルニエ』の周りは、四方八方に道路が行きかってます
何といっても『オペラ・ガルニエ』です。古典からバロックの様式が混在する豪華絢爛な建物で、夜はライトアップされ眩いばかりに輝いています。
パリのすべての主要な建物に言えることですが、ガルニエの周りもたくさんの道路が行きかってます。
目の前を横切る道路は「マドレーヌ通り」で、右に700メートル行くと『マドレーヌ寺院』です。正面に伸びる道路が「オペラ座大通り」となり、アンドレ・マルロー広場まで1Kメートルほど。ナポレオン3世とオスマンによるパリ改造計画の一環として整備され、重厚な石造りの建物が整然と並んでいます。アンドレ・マルロー広場を過ぎるとすぐ『ルーヴル美術館』です。斜め右の道路を望むと、400メートル先には『ヴァンドーム広場』のオーステルリッツ記念柱が見え、その先は『チュイルリー庭園』です。オーステルリッツ記念柱はもともとルイ14世を称えるために建造され、後にオーステルリッツの戦勝記念柱(1805年12月2日、現チェコ領の町アウステルリッツ郊外で、フランス軍がロシア・オーストリア連合軍を破った戦い)となったものです。一方斜め左の道路は「9月4日通り」と歴史を刻んだ名前になっています。普仏戦争最中、ナポレオン3世がセダンの戦いで捕虜となり、共和制への運動が活発化し、第二帝政は崩壊した1870年9月4日を記念して名付けられたものです。裏側が「オスマン大通り」です。大型スーパー『プランタン」や「ギャルリー・ラファイエット』が立ち並びます。
日本人の御用達『マイバス』や『JCBプラザ』もあり、日本食レストランもひしめく
「マイバス」では「ジベルニー」と「モン・サン・ミッシェル」のツアーを利用しました。自力で行くには交通手段が面倒だったので助かりました。場所はピラミッド駅の近くの「オペラ座大通り」から少し入ったとことにあります。
「JCBプラザ」では「ミュージアムパス」を買っていました。なお「ミュージアムパス」はたいていの美術館で買えます。スリや事故への対応などいろいろと親切に教えて下さいます。またレストランの紹介もしてくれるそうです。場所は『ガルニエ』から『ヴァンドーム広場』に向かって600メートルほど。前はピラミッド駅の近くと記憶していたのですが、記憶違いか。。。
またこの年、驚いたのはラーメンの味です。この5年で本当に美味くなっています。日本で食べる味と同じレベルではないかと。以前はラーメンと呼べる代物ではなかったが。。。日本食が美味しいとホントにうれしいです。
ホテルMalte-Astotel ローケーションはいいが。。。
2度、この辺りのホテルに宿泊しました。
2018年泊まったMalte-Astotelは「パレ・ロワイヤル庭園」まではわずか50メートル程、「ガルニエ」、「ヴァンドーム広場」、「ルーヴル美術館」は1キロメートル圏内と絶好のロケーションでした。でもどこも近いのでどうしても歩いてしまいます。しかしです。フロントマンの言動が横柄なことにあまりにも頭にきて、結局クレームを言って帰って来ました。初めてのことでした。気分は最悪です。。。外国人もいろいろな人がいるし、文化の違いも大きい。日本人は何も文句を言わないだろうとタカをくくっているのか。。。今となっては、これもいい経験と思いたいです。
Coming Soon!
- コンコルド広場はエトワール凱旋門、ルーヴル宮、アンヴァリッド、マドレーヌ教会を四方に臨む
- チェルリー公園は旅行者が必ず歩くことになるフランス式庭園
- カルーゼル凱旋門とルーヴル宮