パリの歴史 フランスはドイツ、イングランドと勢力争いの中で徐々に作られた
パリを知るうえで、フランスがどのように作られてきたか、フランス、ドイツ、イングランドの3国を中心に、5世紀のフランク王国から現代まで見ていきたいと思います。
481年、フランク王国のはじまり
フランク族のメルヴィング家、クロ―ヴィス(ルイ)がメルヴィング王朝を開きました。
メルヴィング家は、西ヨーロッパに侵入した蛮族の中で最後まで生き残りました。
このメルヴィング家には、「聖なる海獣と人間の間に生まれた子供を先祖に持つ」との言い伝えがあり、「王族の青い血」という言葉が生まれれたことでも有名です。
800年、カール大帝がローマ皇帝として戴冠
次に、王家の宮宰職だったカリング家が王位を乗っ取り、751年カリング朝を開きました。
843年、東フランク王国(ドイツ)、西フランク王国(フランス)が成立
この頃は長子相続の制度はありませんでした。カール大帝の子供達は国を2分することになり、東西のフランク王国が成立しました。
東フランク王国がドイツ、西フランク王国がフランスと、今の基礎が出来上がります。
初代フランス王のユーグ・カペーの頃は、パリ周辺のごく小さいな領土でした。しかし、ここから350年に渡って反映します。「カペー家の軌跡」と言われ、嫡男が途切れなかったことが大きかったとも言われています。まさに「継続は力なり」です。
このカペー朝以降は「フランス王国」と呼称されます。
1328年、弟の子供フィリップ六世がヴァロア家として王位を継承
カペー朝はフィリップ四世でついに嫡子が絶えます。
ここで面倒なことが起こります。カペー家のフィリップ四世の娘のイザベラはイングランド王エドワード二世に嫁ぎ、エドワー三世を生みます。
エドワード三世はカペー家フィリップ四世の直系の孫に当たるので、彼は「フランスに対する主権は自分にある」と主張し始めます。
1337年、フランスとイングランド間の百年戦争勃発
この百年戦争を経て、イングランドとフランスは完全に別の国になります。
日本は戦国時代など戦乱の時代はありましたが、所詮、島国なので、第2次世界大戦で敗北を喫するまで、外からの大きな侵略を受けることはありませんでした。
陸続きの大陸は大変です。
ドイツ、イングランド、フランスは長い歴史の中で、支配権の争いを繰り返しながら 統合、分裂して国ができて来たんですね。
次は、フランスの人たちの考え方です。どうぞ↓