まずは何といってもノートルダム大聖堂(寺院)我らが貴婦人はゴシック建築の最高傑作 トラブルも今では忘れられない思い出

4区 シテ島

ローマ・カトリック教会の大聖堂のひとつ。

「ノートルダム」とはフランス語で「我らが貴婦人」(英語:Our Lady)、「聖母マリア」に捧げられたものであることを意味しています。

大聖堂ファサード前の石畳には、古来からフランスの道路原標「ゼロ・ポイント」のプレートがあります。パリから各地への距離を表す起点です。

年間入所者数は『ルーヴル美術館』が「年間1000万人を超えた」言われていますが、ノートルダム大聖堂は約1500万人、一日に平均すると4万人の計算になります。

セキュリティ強化も影響してると思いますが、長蛇の列を見ると。この数年で相当増えたように感じます。

ノートルダム大聖堂は完成まで約180年という途方もない年月がかかった

1163年に着工、1345年にようやく完成しています。

ゴシック建築の最高傑作と言われ、6,500人収容 という壮大なスケールです。

  • 全長127.50メートル
  • 身廊(建築用語。バシリカ式聖堂の祭壇手前の礼拝のための空間)の高さは32.50メートル
  • 幅は12.50メートル

ノートルダム大聖堂の中には10回は入ったでしょうか。行く度に高い塔にも必死で登りました。

大聖堂の横(セーヌ川と逆側、塔に登る入口の方)には、小さなブッフェが数件並んでいて、軽食をとったり、ビールを飲みに入るなどいつもぶらぶらします。

妻が昼からビールとピッツァで満面の笑みです。右の写真はこの店の前から見たノートルダム大聖堂です。右端に塔へ登るための待ち行列が見えます。

僕たちが抱いたノートルダム大聖堂のイメージは後塵だった

左から、1枚目先陣ファサード、2枚目は今の後塵、3枚目は30年前の後塵となります。年月を感じずにはおれません。

ノートルダム大聖堂のイメージは、たいていの方は1枚目のファサードではないかと思います。

私たちが新婚旅行の写真もあったので、記憶していたイメージは2枚目、3月枚目でした。3枚目は30年以上前に撮影したものです。2012年久しぶりに見たときは、二人とも「こんな感じだった?シルエットがイメージと全然違う。」と不思議に思ってました。実は3枚目の後塵の写真が記憶されてたんですね。

ノートルダム大聖堂は、私たちには一番の思い出の場所が詰まった場所であり、感謝に耐えない場所

ノートルダム大聖堂では、忘れられないことが2度あります。

一つ目は30年前の新婚旅行でのトラブルです。

当時8名のツアーでした。ノートルダム大聖堂を観光した後少し自由時間があり、僕はすぐバスの戻ったのですが、妻が一向に帰って来ません。

しばらくすると妻が絵を抱えて帰って来きて、なかなか帰れなかった理由がわかりました。

妻はある土産屋に入って絵を買い、しばらく店内を見てから店を出ようとすると、店員から「その絵は支払いが済んでいない」と呼び止められたようです。しばらくして他の観光客の方がたまたま支払っていたシーンを見ていたようで、妻に代わってそのことを説明してくれて、何とか事なきを得た、こんなことでした。

奇跡的な事でした。もう30年も前のことですが、とても忘れられないです。

二つ目は2015年のパスポート紛失事件です。

夕方ホテルに帰る直前に妻のパスポートがないことに気付いたのです。

妻がすぐ「ノートルダム大聖堂に入ってパスポートを出したときに落としたかもしれない」と言うので、急いで大聖堂に戻りました。

入り口で守衛の方に「パスポートの届け出はないか」聞くと、妻の顔を見て「今さっき届け出があったよ」と笑顔で入り口すぐのカウンターに連れてってくれました。無事受け取ることができました。

この後、大聖堂に中をゆっくり見て回ったと思います。なんどもなんども。

その時の嬉しさ、というよりほっとしたのでしょう。しばらく妻は無口だったと思います。なくしたことを気づいてから15分程度の時間でしたが、妻は青ざめながらも、慌てず冷静に記憶を辿っていたのも立派でした。

僕ならパニクッテ、下手すると他人(妻)のせいにでもしていたかもしれません。。。。。情けない。。

妻にとって、ノートルダム大聖堂は特別な場所なんです。

さて、次へ行きましょう。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です