4月16日のノートルダム大聖堂の火災は熊本大地震からちょうど3年だった。この日は忘れない!
2019年4月16日(火)の朝、部屋でパソコンに向かっていると、妻から「ノートルダム大聖堂が燃えているよ!今、テレビでやってる!」と叫んだ声が聞こえ、すぐリビングへ行くと、あの無残な光景がテレビに映し出されていました。
炎の勢いが凄すぎて、しばらく、ただ唖然と見つめていました。すぐには状況が呑み込めませんでした。そのうちに、尖塔が燃えているのだとがわかりました。 無くなるときは一瞬です。形あるものは全て、維持するのは大変だが。。。
妻は「去年行っておいてよかったのかな。何か虫の知らせがあったのかな。私がキャンドルなんかやったから燃えちゃったのかしら。」と言って、出かけて行きました。
妻が出かけてから、わずか1時間後、「今日の朝、母さんが亡くなった。熊本へ行く準備をしておいて。」と彼女から連絡を受けました。熊本は、妻が生まれ、高校生まで住んでいた故郷です。
偶然にも、ノートルダム大聖堂の火災は熊本大地震からちょうど丸3年だった。
妻にとって「4月16日」は、お義母さんの命日、熊本大地震、そしてノートルダム大聖堂の火災と、とんでもない日として記憶されることになりました。
焼け落ちたノートルダムの尖塔は、正面から見ても見えないです。大聖堂の周りを回り、広場を通って「ヨハネ23世」と命名された庭園から南側に沿って進むと見えてきます。あるいは、向かいの岸から見たり、クルーズ船から見ることもできます。
下の2つの動画は2018年10月に、クルーズ船から撮影したものです。正面のファサードとは全く違う、景観です。
現地で買ったパンフレットには先陣と後陣を次のように表現しています。
(ファサードの正面が先陣、尖塔のある後ろが後陣となります)
正面ファサードは信者あるいは見学者を向かい入れるのに対し、後陣はすでに永遠の入口である典礼を祝う大聖堂の心臓を守っている。後陣は沈むことのない復活の太陽が昇る東方にある。
木製の骨組みには、ナラの木が1300本使用され、21ヘクタールの森林に等しいことから「ノートルダムの森」と呼ばれています。
絶対に、元に戻った姿をまた見たいと思います。
5年以内に何とか回復させて欲しいと願うばかりです。
次はあの塔に登ります。