はじめて印象派に興味を持ったのは、オランジュリー美術館でモネの「睡蓮」を観たときです モネは今、多くの人々に愛される続ける『睡蓮』をどう思っているんだろう
「オランジュリー美術館と言えば印象派」と言われるように印象派と呼ばれる絵がたくさん貯蔵されています。日本人も多く訪れる美術館です。
2012年、初めて『オランジュリー美術館』に行きました。
『オランジュリー美術館』は1927年モネの『睡蓮』の連作を収めるために美術館として整備され、今の形になっています。
『睡蓮』の連作の他、その後ジャン・ヴァルテール、ポール・ギョームの多くのコレクションが貯蔵されています。
もともとは、『テュイルリー宮殿』のオレンジ温室として、1852年にオレンジの木を置く温室として建てられ、その後スポーツや音楽など、あらゆるイベント会場になりました。
『テュイルリー宮殿』はルイ14世が『ベルサイユ宮殿』に王宮を移すまで。またフランス革命で、ルイ16世が民衆によってパリに連れ戻したときの一時期、王宮として利用されていました。
1914年、モネは友人でもあった首相ジョルジュ・クレマンソーの説得を受け、「睡蓮」の連作の製作を決め、ジヴェルニーで『睡蓮』の製作に専念します。
4年後の1918年、クレマンソーはジベルニーを訪れ、19点の睡蓮の壁画を選びます。モネもフランス国家に寄贈することを約束しました。
オランジュリー美術館、睡蓮の部屋は「睡蓮」を飾るためだけに作られた楕円形の二つの部屋です。作品が壁一面に展示され、まさに圧巻です。
この時モネは、クレマンソーに「睡蓮」の連作を寄贈する条件を提示します。次のような内容です。
『睡蓮』の連作は、オランジェリー美術館の特別室2室の壁一面に巡らせて常設展示させること!
モネ自身がギャラリーの設計を監修し、楕円形の大きな特別室2室には、上から自然光が差し込む設計にしました。
朝、昼、午後、一日中『睡蓮』を楽しめるように工夫されています。
中央には、詰めれば20人ほどが座れる長椅子が置いてあり、当時のモネと同じ目線でじっくり鑑賞できます。
『睡蓮』は、モネが1895年から約三十年もの間描き続けた200点以上の油絵の連作です 。
水や水面に浮かんだ睡蓮の色は、季節とともに、また一日を通じて、光が周りの木々の枝葉が池に移し、その色や形は刻一刻と変化します。 庭園のいたるところから、じっくり観察して描かれています。
モネは今、自分の思い通りに展示され、多くの人々に鑑賞され、愛される『睡蓮』をどう思っているんでしょうか?
下の動画は2018年10月に撮影したものです。
モネは「睡蓮の部屋」をその目で見ることなく、オランジュリー美術館公開(1927年)のわずか数か月前に他界した
オランジュリー美術館へ行った翌日、モネが後年の半生を過ごしたジヴェルニーに行ってみました。モネは1883年にここジヴェルニーに家を借り、1926年にこの世を去るまで約40年間過ごしました。
庭には『睡蓮』の池と青い橋、そしてきれいな花が咲き乱れています。モネが愛してやまなかったこの庭で、存分に絵を描き続けていた当時の情景が、何か目に浮かぶようでした。