印象派は、19世紀後半、フランスで始まった絵画を中心とした芸術です。

印象派とは、19世紀後半、フランスで始まった絵画を中心とした芸術です。

名前の由来は、モネの絵『印象・日の出』でした。
第1回美術展が開かれた 1874年、モネがその場で名前を付けた『印象・日の出』を観て、批評家は「確かにこの絵からは印象しか感じない」と酷評しました。

権威あるサロンやアカデミーの保守派は、モネの画法が新しすぎてわからなかったのです。

人は誰かを思い出すとき、写真のような姿は思い出しません。主観的な「印象」です。犯罪捜査でも似顔絵が有効になのは、写真では人を区別しにくいのですが、その人の特徴がわかれば区別できるからだと思います。まあ、これからはAIを使って100%認識されていくのでしょうね。

モネが考え付いた「虹のパレット」、印象派に大きな影響を与えた。

あらゆる色は「赤・青・黄色」の三原色からなっています。

彼は明度を重視し、原色か、混色の場合はあまり混ぜない色を隣に置くことで、これを遠くから見ると、 視覚の中で色が混ざり合うい、描きたい色として知覚できるというものです。

ドイツの生理学者であり物理学者でもある、ヘルマン・フォン・ヘルムホルツの光学理論、 三色説を基本理論として、モネは、絵画で「混色した緑より、青と黄色を並べた方が明度が高くなる」ことを、理論的に証明しました。

その後、”点描派”、”新印象派”と呼ばれる、スーラ、シニャックといった画家へ、この理論が受け継がれていきます。

従って、モネの絵は遠く離れて観てることで、はじめてモネが描こうとした世界と価値をが感じられるということでしょうか。

印象派誕生には、光学理論、チューブ入り絵具、写真技術、ジャポニズムがある。

1. ヘルマン・フォン・ヘルムホルツの光学理論が発表された。

モネは弟子にこのように教えました。「目の前にあるものが何かということは忘れる。小さな青い四角がある。黄色の線があると考える。見えるものをただ描いていくと、君の眼に映ったままでに、情景の印象を捉えることができる。」と。光のさしかたと今の動きを捉えます。

2.チューブ入り絵具が発明され、戸外で一日中絵を描けるようになった。

今は当たり前ですが、「チューブ入り絵具」が発明されたことで、アトリエから解放され、戸外で絵を描くことができるようにんりました。

最初の金属性の絵具チューブは1828年に考案され、注射器のかたちをした“ピストン式”のものでした。それから1840年頃ガラス製になり、 1841年に 使い捨てチューブが発明されています。

3.19世紀半ば写真が発展したお陰で、絵画の技術が発展した。

当時の写真は技術的に色彩に限界があったので、 画家たちは写真に対抗し、色の効果を強調することに活路を見出して行きました。写真が発展したことで、独自の探求と実験をせざるを得なかったのです。

降り注ぐ太陽の光の中で一瞬の動きを捉え、目に焼き付ける”印象”こそが重要であり、細部の写実的な描写などはどうでもいいと考えました。

4.ジャポニズムが熱狂的ブームとなった。

伝統ある遠近法や陰影法を使った立体的な手法を放棄した背景には、浮世絵の影響が大きかったと思います。

1867年のパリ万博博覧会で展示された日本館がきっかけとなりました。

モネのジヴェルニーの家には、葛飾北斎などの浮世絵が、モネが決めた配列のまま、壁一面に飾られていました。木版化の第一の収集家だったドガ、浮世絵師・広末を称賛してやまなかったピサロなど、 印象派の画家たちは日本の浮世絵から大きな影響を受けています。

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