カペー朝の宮殿として建てられたコンシェルジュリー 「ギロチン控えの間」と呼ばれ、マリー・アントワネットも投獄された 名前からは想像できない牢獄だった
1区 シテ島
コンシェルジュリーは、サント・シャペルの向かい側にある。
最初から余談になりますが、私たちはビールやワインをよく飲むので、トイレはことのほか重要です。でもご存知の通りパリのトイレは日本にいるようには行きません。地下鉄駅などたまにあっても、清潔じゃありません。ここのトイレはきれいで、 観光客も少ないときています。何度かトイレをだけを使わせていただきました。いつもミュージアム・パスを買うので、いっさいお金はかかりません。ミュージアム・パスはこんなことにも使えます。
2018年に行ったときは、ここもセキュリティが厳しくなって、入るまで多少時間がかかるようになっていました。
さて、コンシェルジュリーについて
ここはもともとフィリップ4世などカペー朝の宮殿として建てられ、10世紀から14世紀にかけて使用されていました。
その後、シャルル5世が王室司令部とした際に、護衛をしていた門衛を「コンシェルジュ」と呼んだことで、いつの間にかコンシェルジェリー(コンシェルジュのいるところ)と言われるようになったとのことです。
コンシェルジュリーは「死の牢獄」「ギロチン控えの間」と呼ばれた。
しかし、フランス革命時には、約2年間、2,780名にのぼる王族や貴族、革命家、文学者がこのコンシェルジュリーに投獄され、断頭台へ送られました。
現在は、マリー・アントワネットが処刑されるまで、2か月半過ごした独房も現在再現されています。
1階と2階に独房があります。2階にはマリー・アントワネットの部屋も再現されています。
3種類の独房が再現されています。
富裕層や著名人の囚人用で、家具もあり、読書や仕事をすることもできたと記されています。
中流層の囚人用は簡単なベッドが付いた雑居房2~5人用のも、
最後に、最も貧しい囚人は、藁が敷かれた雑居房で寝かされ、不衛生だったようです。
コンシェルジュリーにある女性囚人の独房舎に囲まれた「女たちの庭」、ここで死刑囚は二輪荷車に乗せられ、断頭台に連れて行かれた。
帰ろうと出口に向かって行くと、コンシェルジェリーの中で、ピアノ伴奏に合わせ、子供たちが歌の練習をしていました。何度もここを見学しましたが、こんなシーンは初めて見ました。取材も来てました。これおまけ映像です。