モンマルトルのカフェには、毎夜、マネを中心に、印象派画家が集まって絵画論を交わした
モンマルトルには、印象派画家が通い詰めて、多くの作品の舞台となったカフェがたくさんありました。
その中心にはいつもエドゥアール・マネがいました。マネは既に1850年代半ば頃からいろいろなカフェに通っていましたが、1864年に、モンマルトルの丘の西にあったバティニョール地区に引っ越した頃から、近所にあった「カフェ・ゲルボワ」に通い始めたと言われています。当時のマネ30歳前半で、1863年の落選展で『草上の昼食』、1865年のサロン・ド・パリで『オランピア』で最も注目されていた時代です。
ここに集まったのは、詩人のザカリー・アストリュク、写真家ナダール、エミール・ゾラ、ルイ・エドモン・デュランティなど、芸術家を目指す若者や批評家たちでした。印象派画家としてはマネと30歳を迎えようとしていたエドガー・ドガぐらいでした。しばらくして1866年ごろから20歳半ばを迎えたモネ、ルノワール、バジール、そしてピサロやセザンヌも顔を出すようになります。モネは後に、当時のことを次のように語っています。
「際限なく意見を戦わすこうした『雑談』ほど面白いものはなかった。そのおかげで、我々の感覚は磨かれ、何週間にもわたって熱中することができ、そうして意見をきちんとまとめることができた。」
その他3つのカフェをご紹介します。
印象派のたまり場はカフェ・ゲルボワからカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌへ移った
たまり場はカフェ・ゲルボワから、 1874年にはここカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌへ移ることになります。
1874年といえば、マネが42歳、
左から、マネ「プラム酒」(1878年) →ドガ「アプサントを飲む人(カフェにて)」(1876年)
ここもマネが行きつけだったブラッスリー・ド・レッシュショフェン
マネが足蹴く通い、多くの作品を描いたカフェです。 いずれも多くの作品が生まれたカフェです。全て作者はマネです。左から、「カフェにて」「カフェ・コンセールの一隅」「ビールジョッキを持つ女」(1879年)
最後は、ゴッホの絵が初めて展示されたカフェ・デゥ・タンブラン
女主人はゴッホのモデルにもなり、1887年にゴッホが集めた浮世絵の展覧会も開くなど、ゴッホにゾッコンだったようです。
左から、ゴッホが搔いた女主人の絵画「イタリアの女」→「アゴスティーナ・セガトーリ」です。アゴスティーナ・セガトーリは女主人の名前
右の「アゴスティーナ・セガトーリ」は当時のゴッホの代表作の一つと言われています。
両目がアンバランス、火が付いたタバコ、テーブルのビール、これらは当時のパリで重大な問題となっていたアルコールへの依存を表現していると言われています。