花が咲き誇るジヴェルニー ―クロード・モネが40年もの半生を絵に注いだ場所 睡蓮の池と太鼓橋は絵のように美しかった

モネがここに越したのは1883年のこと。ジヴェルニーはパリから北西約80kmの場所にあります。2度目の妻アリス・オシュデと8人の子供たちの10人の大家族が、この小さな町に越してきます。

ポール・ディラン=リュエルがモネをはじめ印象派の絵の販売を成功させ、これまで極貧の生活を強いられて来ましたが、ここに越してから財政が好転していきます。

ここジヴェルニーにはその後たくさんのアメリカ人画家が訪れています。 ディランがニューヨークで画商の地位を確立して、印象派画家の絵画も人気を博します。さらにマネがエミール・ゾラから「印象派の代表者」と称賛されたことで、モネの家には多くの画家が集まることになります。

敷地は、玄関を入ると正面に広大な“クロ・ノルマン”(ノルマンディーの囲い庭)が現れます。

園芸家でもあったモネが自ら作り上げた庭です。小さな並木道で仕切った多数の花壇になり、色とりっどりの花がハーモニーを奏でているかのように、咲き乱れています。一見無造作に見えますが、よく見れば、いろいろな場所から、四季を通じて楽しめるように創意工夫されているのでしょう。

妻はたくさんシャッターを切っていました。よほどきれいだったんでしょう。

広大な庭から通りを渡ると、あの睡蓮の池が現れます。中央には太鼓橋も見えます。

この池もびっくりします。睡蓮でこんなにたくさんの種類があることにも驚きました。日本でもまずみることはありません。ヤナギや竹藪もあり、日本より日本見たいでした。

玄関に戻って来て、左手に建っているモネの自宅と第1アトリエに入ります。

モネの住まいは、窓枠は緑、壁はバラ色で塗られ、前に置いてあるベンチも緑、入り口の3つの階段もみんな緑。このシンプルな原色がとてもきれいな家です。その周り一面に花が咲いています。

中に入るとこれまたびっくりです。台所は青、ダイニングは黄色が基調になっていて、椅子まで黄色でした。モネのインスピレーションで見事に配色されています。

部屋の中で特に心象的なものは、日本画家の数々の絵画です。歌麿、広重、北斎、写楽・・・

この他に、アトリエが第1、第2、第3と3つあります。この第3のアトリエはあの「睡蓮」を描き上げるためだけに作られ、今は売店になっています。

オランジェリ―美術館で「睡蓮」を見てこのジヴェルニーに来ましたが、ジヴェルニーで咲き誇る花や睡蓮の池を観てからモネの絵を見ると、より感動するんだろうと思います。

「MONET The Gardener」約100ページほどの本を買って帰りました。

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