全てをフランス国家に寄贈したロダン美術館 ロダンの全てがそこにある そして「考える人」は「人々凝視している」
ロダン美術館は2015年に初めて行きました。K&Kホテルから1キロ弱、歩いて約10分でした。
本名フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダン
ロダンが自分の美術館にすることを条件に、彼の全てをフランス国家に寄贈した美術館です。
オープンは彼の死後2年後の1919年のことでした。
ロダン美術館は、ずばり見ごたえのある美術館です。
まずロダンがアトリエ兼自宅としていた館を見学します。ここはカメラ撮影OKです。
展示室は1階と2階にあり、年代順に展示されています。
そして、館内で目を引くのは女性彫刻家カミーユ・クローデルの作品を展示した部屋と作品の数々です。
弟子であり愛人でもあったクローデルは、彼女がロダンの子を中絶しすることで関係を断つことになります。その後精神の病を患ってこの世を去ります。このはかなくも切ない物語を作品にしたものです。
一方内縁の妻ローズとは彼女が死去する数か月前に結婚をしています。またその数か月後ロダンもこの世を去りました。彼自身が招いたこととは言え、内縁の妻と愛人との間で大きく揺れ動き、苦悶したロダンの人生を感じる作品群です。
左から「カミーユ・クローデルの写真」「接吻」「ロダンとカミーユ・クローデル」「分別盛り」
「分別盛り」は追いすがるクローデルを振り切って、妻のもとに帰る物語がテーマです。
その他にも「タンギー爺さん」(ゴッホ)や「裸婦」(ルノワール)など絵画も飾られていました。
外の庭園に出ると、すぐ人だかりに出会います。そうです。上野の国立西洋美術館の入り口にも展示されている「考える人」です。
「原型から石膏像を作る権利」はフランス政府にあり、この原型はロダン美術館が持っています。世界に20以上存在し、日本には上野と京都にあります。全て原型から作ったという意味では本物だということです。
だれもいなくなってからビデオ撮影しました。妻が「なんでそんなに有名なの?」私「・・・・・」 私ではわかりません。
ロダンの未完の大作「地獄の門」の上部に「座って、墜ちていく人々凝視する男」として作られています。考えているわけではないんですね。
この「考える人」は後に鋳造職人が付けた名前です。もともと1880年、国立美術館建造のモニュメント製造の依頼に対して、ロダンが選んだ「地獄の門」(ダンテの「神曲」)がきっかけでした。
ところが1888年美術館建設が白紙となり制作中止となります(その後オルセー美術館が立ちました)。
それでも、ロダンは制作を続け、1889年「「地獄の門」を覗きこむ男」として、独立した作品として発表し、「詩想を練るダンテ」とも「詩人」とも名づけられ、最終的には「ロダンの考える人」として、今では世界中に展示されています。
なお、ロダンとモネとは同い年です。1889年、49歳の時一緒に二人展を開いたことがあります。
印象派の絵画と彫刻のコラボです。出展した36点の作品が高く評価され、大成功に終わりました。この大成功がその後のロダンの名声に大きな影響を与えることになりました。
広大な庭園はきれいに整っていて、直径30メートルほどの噴水と一面緑の芝生の両脇には木々が立ち並び、園内の至る所に彫刻が置かれています。
私たちは30分ほど歩いて廻った後、隣にあるアンヴァリッドへと向かいました。