エッフェル塔① パリの象徴、その姿は美しい。でも登るものじゃない

エッフェル塔はパリのどこにいても見ることになる最大のモニュメントです。

2012年に一番上となる第3展望台まで登ってから、その後はエッフェル塔の中には入ってません。記念にはなりましたが。。。

そもそもエッフェル塔は外から見るのがいいのです。展望台まで登って市街を見渡すことはできますが、市街を見渡しならモンパルナスタワーで十分です。何も、長蛇の列に並んでチケット窓口を求めて、2,3時間かけて登るほどのものではないと。私は思ってます。

「パリ大改造」を推し進め、現在のパリの基礎を作ったオスマン男爵もさぞびっくりしたことでしょう。彼がもし建設案が出たときに生きていたら、このどでかい鉄の塊、エッフェル塔をどう評価したのか。。。

パリで収めたビデオと写真で、エッフェル塔の映像がたくさん映っています。理由は簡単です。

  • パリで最も高い。
  • 観光客の1大人気スポットなので、私が毎回乗っている遊覧船でも必ず通る。
  • 私は必ず高いところに登って撮影する。

でも、その姿は、昼でも夜でも美しい!

エッフェル塔は1889年のパリ万博(第4回万国博覧会)の目玉として建てられました。

1886年、コンペティション最優秀作品が3つに絞られ、最終的に「万国博覧会用に建てられる塔は決定的な特徴をもち、金属産業の独創的傑作として出現しなければならない。この目的に適うのはエッフェル塔のみである」と評価され満票で決定しました。

驚くべきは2年2か月という短期間で完成しています。

総工費650万フランに対して政府からの補助金は150万フランに過ぎず、残りの500万フランは塔の設計および建設者、社長でもあったギュスターヴ・エッフェルが拠出しました。1889年から20年間の入場料で500万フランを回収する必要がありました。 (1909年にパリ市に引き渡し)

当時の料金は1階で2フラン、2階が3フラン、最上階が5フランということなので、平均3フランとして20年間で計算すると228人入場すると売上ベースで回収。利益率を20%すると平均1,000人を超える入場者が必要です。エッフェル氏は相当の覚悟と自信があったのでしょう。

1889年の入場者数は万博の盛況もあり半年で200万人、約2,700人/日でした。しかしここから低迷が続きます。

エッフェル塔は1909年には解体されることになっていました。

ところが1904年、軍事用無線電波を送受信する目的でエッフェル塔を残すべきであるとして、何とか取り壊しを免れます。それから100年経った現在でも電波塔としての役割を担っています。

展望台の塔の最上階に設けた小さなエッフェルの私室が、エッフェルとゲストのマネキンと一緒に、当時のまま一般公開されています。

第1展望台が57.6メートル、第2展望台が115.7メートル、第3展望台が276.1メートルと展望台は3つありました。ここまで来たのだからと第3展望台まで上がりました。

第3展望台から撮ったシャン・ド・マルス公園、アンバリッド、サクレクール寺院です。

なお、エッフェルはエッフェル塔を手掛ける前、あのニューヨーク港内のリバティ島に建つ「自由の女神」の設計にも携わっています

「自由の女神」は独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され1886年に完成しています。

上の写真を撮った2012年秋は雨も降って大変寒かったので、軽食を済ませ、熱いコーヒーを飲んで、早々にシャンゼリゼ通りへ向かいました。

エッフェル塔② エッフェル塔はいつ、どこから見てもその姿が美しい

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