満ち潮の時は海に浮かぶモンサンミッシェル 修道院→要塞→監獄→修道院の歴史 ユゴーが修道院への復元を訴えた
2013年、「海の中にポツンと立ってる教会、あんな不思議なものはない。どうしても見てみたい」と妻のたっての願いで、行きました。
モンサンミッシェルと言えば、「プラールおばさん」のふわふわなオムレツ(スフレリーヌ)が名物料理です。また、厳島神社がある広島県廿日市と、モン=サン=ミシェルは観光友好都市になってます。海に浮き沈みする意味で厳島神社もおなじからでしょう。
パリから電車とバスを乗り継いで行く行き方もありますが、たっぷり4~5時間かかります。
バスツアーで行きました。ツアーの方がはるかに楽ですから。でも一人だいたい2万円。ツアーは料金が高い!!!
「日本人のガイドさんが付いて、帰りはノルマンディー地方のオンフルールによってムール貝を食べて帰る」、こんなツアーでした。
オンフルールは多くの探検家や芸術家を生んだ地として有名です。クロード・モネも1864年、1866年と、ここを訪れ、港の風景を描いています。
今日から4日間、モンサンミシェルのバスツアーの旅を投稿していきたいと思います。
かつては、満ち潮時は海に浮かび、引き潮の時は自然に現れる陸橋で陸と繋がってた
モンサンミシェルはノルマンディー地方の南部、サン・マロ湾上に浮かぶ小島です。この上に修道院が建っています。潮の満ち引きの差は15メートル以上あります。
最も大きな引き潮は、沖合い18kmまで引いた潮が時速10kmという猛烈な速度で押し寄せ、多くの巡礼者が命を落とし、「モン・サン=ミシェルに行くなら、遺書を置いて行け」という言い伝えがあったということです。
歴史に翻弄された修道院 ユーゴーが救った歴史建造物はノートルダム大聖堂だけではない
- 966年にノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を建て、増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になった。
- 百年戦争では島全体が英仏海峡に浮かぶ要塞の役目をし、当時の大砲とその弾が残っている。
- フランス革命時に修道院は廃止され1863年まで国の監獄として使用された。
- ヴィクトル・ユーゴーの紹介がナポレオン3世を動かし、1865年に再び修道院として復元された。
- 現在は景勝地として世界的な観光地となった。
ユゴーはこの小島の美しさに感動し、「この自然と芸術の共同作品を、何としても『島』として残さねばならない」と訴え、ナポレオン3世を動かしました。
さて、モンサンミッシェルへ向かいます。