パリから4時間かけモンサンミッシェルへ その姿は次第に鮮明に、テラスに登ると大パノラマ 2度「おおー」と感動する
モン・サン・ミッシェルの歴史
はじめはケルト人が”墓の山”と呼ばれた、この高さ80mの岩山に暮らし始め、キリスト教徒の聖地となった。
708年のある晩のこと、アヴランシュ教区の司教オベールが、夢のなかで大天使ミカエルから「崇拝するためにヤマを捧げよ」とのお告げを受けた。そこで、礼拝堂を作ったのが始まりです。要するに「ここに聖堂を建てよ」ということで、ヤマはモン・シャン・ミッシェルのニックネームです。
966年にはノルマンディー公リシャール1世がベネディクト会の修道院を建て、増改築を重ねて13世紀にはほぼ現在のような形になり、カトリックの聖地として多くの巡礼者を集めてきた。
1204年、フランス王、フィリップ・オーギュストが、ノルマンディーを占領したのち、モン・サン・ミッシェルと町を復興させるために、多額に金貨を寄進したおかげで、13世紀はじめの40年間で広い部屋と光を取り入れるなど大改造した。それは後に「驚くべきもの」と呼ばれるほどのものだった。
百年戦争(1339年~1453年)では要塞の役目をしていた。18世紀末のフランス革命時に修道院は廃止され、1863年まで国の監獄として使用され、その後荒廃して行った。
1865年に再び修道院として復元され、ミサが行われるようになった。ヴィクトル・ユゴーがナポレオン3世を動かした結果だった。
いざモン・サン・ミッシェルへ
宿泊したホテルは、シャンゼリゼ通りから少し入ったアレクサンドル3世橋の近くでした。
バスが出発するマイバス (ピラミッド駅)まで約2km、朝食は取らずに、7時半ごろホテルを出て歩いて行きました。天気も良くて、本当にすがすがしい朝でした。
案の定、集合場所には早めに着いたので、ブッフェで軽く朝食を済ませ、準備万端。パリでは食べることには事欠きません。
モンサンミッシェルへいよいよ出発です。
ツアーは約20名ほどの小所帯でした。マイバスですから勿論全員日本人です。
途中で1度休憩をはさんで、約360kmを4時間強の道のりでした。
そして、近づいて来ると。。。
右手にこんな風にモンサンミッシェルが突然見えてきます。これか!!!
昼食は、モンサンミッシェルの小島ではなく、岸側にある200~300人は入れそうな大きなレストランでした。見渡してみると、全員がオムレツ(スフレリーヌ)を食べてました。恐るべしです。
モンサンミッシェルといえばプラールおばさんのオムレツ。
昔、命がけでモンサンミッシェルにたどり着いた巡礼者のために宿を営んでいたプラールおばさんが、温かくて栄養価の高いこのオムレツを提供したのだそうです。
私たちが行った2013年までは、このように道路がありましたが、翌年の2014年7月22日に脚付きの橋(長さ約760m)が開通し、現在この道路はありません。
これまで、道路で潮がせき止められて島の周囲が砂洲化するいった深刻な状態にあり、海流で堆積砂を取り除いてかつての島に戻すため 、駐車場となっている堤防の代わりに橋を作ったんですね。
2億3000万ユーロ(約312億円)もの莫大な費用を投じたとのことです。
しかし、この工事期間中、まさに私たちが行った2012年~2013年は、観光客にとってたいへんでした。新駐車場で観光バスを降りて、シャトルバス乗り場までそこそこあります。さらにシャトルバスを降りて、400mほど歩かねばなりません。工事期間中はの観光客は10%減となったそうです。
でも工事後の姿を、是非この目で見てみたい。
さあ、最後の400メートル、歩いて向かいます。
モンサンミッシェルの中に入ります。
門を抜けるとお土産屋でにぎわっています。そこをさらに進んでい行くと、2つの小さな塔「哨兵の門」(下の右端の写真)があります。そこを入るとすぐチケット売り場です。
ここから聖堂へ繋がる唯一の通路です。90段の階段を上がって行きます。2013年は秋とはいえ、天気も良くて、ものすごい暑さでした。
でも中に入ると不思議なほどヒンヤリしたことを思い出します。妻も一言「涼しいと元気が出る!」と言って元気よく登ってました。
登りきると屋上(テラス)に出ます。真下に米粒のようなものが見えたので、望遠でズームすると5人の方が下で何やら話してました。見渡す限り下にいたのは彼らだけです。何してたんでしょうね?
でもどうですか?海抜80mからの大パノラマでした。
次は修道院の中へ入ります。