ターナーは”スピード”を絵に描いた初めての画家-印象派の先駆者
ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナーは光とスピードの画家として知られます。
ターナーは1775年、イギリスで生まれ、27歳で王立芸術院の正会員になった天才ロマン主義の画家です。
しかし大きな転機が訪れます。44歳でイタリアを旅行したときのこと。
本国イギリスと全く違う明るい陽光と色彩に魅せられ、古典的な風景画家から近代画家へ進化を遂げるのです。誰よりも早く、色彩そのものを風景の主題にしました。
イギリスでは1840年頃、蒸気機関車が整備されました。
そして1844年、ターナーは初めて見るこの蒸気とともに突進する鉄の塊を描きます。
「スピード」を絵にかいた初めての作品と言われています。
ターナーの「雨、蒸気、スピード ー グレート・ウェスタン鉄道(イギリス産業革命、蒸気機関車) 印象派の始まりを感じる
これまで、こんなはっきりしない、一瞬なんだかわからないような絵は誰も書いていません。
でもじっと見ていると、雨の中を(それでなくともイギリスは曇りばかりですが)蒸気機関車が煙を上げてこちらに向かって来ることがわかります。
一瞬の映像を目で捉え、記憶し、そのものを描いています。これだけのスピードで目の前を動くものは、鳥以外にはなかったでしょう。 この驚きを目に焼き付けて書いたんでしょうね。
ターナーは印象派に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。事実、モネは1870年イギリスでターナーの作品を見ています。この時モネは大切なヒントをもらったことでしょう。
その他、ターナーの作品
左から『川と湾の遠景』『ノラム城、日の出』『解体のために最後の停泊地に向かう戦艦テメレール号』
ここで少しイギリス、大英帝国の話です。
ターナーは絵画を勉強するために、度々近隣諸国へ旅した。
18世紀のイギリスはヨーロッパ近隣諸国の中で芸術後進国だった
17世紀初頭から18世紀にかけて世界各地に植民地を作り、商域を広げて行き、随一の豊かな国にはなりましたが、一方世界的な芸術家は一人も輩出していませんでした。
イギリスの富豪はこぞって、自分の息子をイタリアなど、芸術の国、都へ留学させました。一人でも多くの芸術家を育てようと考えます。これを「グラン・ツアー」と呼びました。
中でもヴェネツィアが人気だったようです。
ターナーは44歳でイタリア旅行に行きました。その頃はもう蒸気機関船も作られ、庶民も他国に行くことが容易になったころです。
いろんな条件が画家の才能を引き出したと言えるでしょう。ターナーに限らずですが。。。