オペラ座ガルニエの印象は一言、豪華絢爛です! ネオ・バロック様式の典型と言われれる
当時、最新の素材だった鉄を使用して、不可能とされていた巨大な空間を確保することに成功しています。
ナポレオン3世とオスマンによる「パリ改造計画」の一環として進められ、1860年、当時無名の建築家シャルル・ガルニエが171の応募の中から選ばれました。古典からバロックの様式が混在する豪華絢爛な建物です。
ナポレオン3世が亡くなった1873年の翌年、1874年にようやく完成し、1875年落成式が行われました。
1874年と言えば「第1回印象派展」が開催された年でもあります。
真ん中の写真上部には3つのモニュメントを見ることができます。
中央奥には空に向かって高々と竪琴を掲げる音楽の神「アポロ像」が、左右には燦然と輝く2対の金色のブロンズ像が目を引きます。左側が「ハーモニー」、右側が「ポエジー」
オペラ座の眺望を楽しむのに、ガルニエはオスマンを説得、オペラ座通りには1本の木も植えさせなかった。
真ん中の正面の写真でも分かると思いますが、オペラ座の眺望を楽しむのに邪魔にならないように、建物を遮るものは何もありません。オペラ座通りはアンドレ・マルロー広場からオペラ座広場までの約1キロメートルです。
下の右の絵はピサロの『オペラ座通り』です。ピサロは1897年ホテル・デゥ・ルーヴルに泊まって何枚も絵を描いています。その中の1枚です。手前がアンドレ・マルロー広場、遠く向こうにオペラ座が見えます。
彼が滞在した部屋は大きな窓が張り巡らされた角部屋です。現在「ピサロ・スイート」と言う名前で、我々も宿泊できるようです。でもパリの一等地、しかも「ピサロ・スイート」ですから、途方もない値段です。。。
オペラ座の中に入ると、有名な大理石の大階段、眩いばかりの回廊
ここに最初に行った時は、そもそも見学できるのかさえ知らずにいました。翌年、何事もなければ見学できるということなので、正面から建物の左手に沿って歩いて行きました。すると入口があって、チケット売りもありました。
中はこんな雰囲気です。しばらく奥に進んでいくと4人の女性像が置かれています。思わず写真を撮ります。
さらに進んでいくと、
有名な左右対称のらせん階段になっている大理石を組み合わせた大階段があります。
上に上がって、バルコニーからは下を見下ろすことができます。妻を見ていると、下ではなくどこか前方を見てます。何を見てたのか聞き忘れましたが。。。
これを”目を奪われる” と表現するのでしょう。いくつか回廊がありますが、
オペラ座は豪華絢爛そのもの。グラン・フォアイエはハッとするほどの感動
バルコニーに出ると、全体を広く見渡すことができ、アンドレ・マルロー広場まで約1キロメートルを見渡せます。
2階の廊下には、有名な音楽家やバレリーナの彫刻がたくさん並んでいます。観光客はちらほら、少なかったです。
オペラ座で思い出すのはやっぱり「ドガと言えば踊り子」
エドガー・ドガはこのガルニエ宮に、オープンからほぼ毎日通ったということです。
特に有名な作品だけでも、1874年『舞台のバレエ稽古』『ダンス教室(バレエ教室)』1878年『踊りの花形』、1881年の第6回印象派展で出品した『14歳の小さな踊り子』など、楽屋や練習風景、舞台袖といった一般人では出入りできない場所での場面を描いたものが多いことで有名です。
1989年には、オペラ・バスティーユが完成し、現在オペラ公園はオペラ・バスティーユで行われるようになっています。そのため、ガルニエ宮ではバレエと小規模のオペラや管弦楽のコンサートが行われています。
そういえば、ミュージカル「オペラ座の怪人」はこのパリのオペラ座から着想を得て作られたものですね。
最後に回廊の動画をご覧ください。おもわず、「これ凄いな!」「これが絢爛豪華だと言うんだろうな!」などとつぶやいてしまってます。