ドラクロワ美術館はかつてバジール、モネ、ルノワールのアトリエもあった 小さな広場のわきに、ひっそりとある

ウジェーヌ・ドラクロワ(1798年4月26日-1863年8月13日)はロマン主義運動の代表的な美術家です。

「国立ウジェーヌ・ドラクロワ美術館」は、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の裏手にある小さな広場のすぐそばに、ひっそりとあります。この辺りは今ではフランス人セレブが住む高級住宅街です。

ドラクロワがサン・シュルピス聖堂の壁画を仕上げるために、最期に移り住んだ(1857~63年)アトリエ兼住居でした。

ドラクロアが亡くなった翌年の1864年、フレデリック・バジールクロード・モネルノワールとの3人の共同アトリエとして、この建物の上階を借りて、かれらはこの場所で3年間絵を描いています。

「私の小さな庭の眺めとのどかなアトリエはいつも私に喜びをもたらしてくれる。」

1857. Journal

エントランスを入り階段を昇った2階が彼の住まいでした。

ゲストと待合の場所にしていた図書室、永眠した寝室など、ドラクロワが過ごした同じ空気を感じることができます。

外階段から庭に降りると、彼がひと夏をかけてつくらせたというアトリエにたどり着きます。

「私のアパルトマンは本当に魅力的である(・・・)。翌日は、向かいの家に降り注ぐ優雅な太陽を眺めながら目覚めた。アトリエのうららかな様子も、小さな庭の眺めも、私をいつも幸せな気持ちにしてくれるのだ。」(1857年12月28日の日記)

ドラクロワは、現実に起きた事件を主題にして、強い情熱と筆使いで描くのが特徴です。

その表現豊かな筆使い、光や色の効果に対する技術的な探求は印象派の画家たちに、またエキゾチックな情熱は、象徴主義の芸術家たちに影響を与えていると言われています。

ラトゥールの「ドラクロワ礼賛」1864年

ドラクロワが亡くなった翌年のアンリ・ファンタン=ラトゥールの作品です。

ドラクロワの肖像画の前に、ドラクロワを尊敬していた当時の芸術家、批評家を描いています。

ラトゥール 自身(白シャツの男性) 28歳

ジェームズ・ホイッスラー(手前左に立っている口ひげの男性、画家)30歳

エドゥアール・マネ(手前右に立っているポケットに手を入れている男性、画家)32歳

ボードレール(右端に座っている男性、詩人)43歳

ボードレールは「ドラクロワは非常に情熱的であったが、可能な限り冷静に理性的に情熱を描こうとしていた」とドラクロワの評しています。

ドラクロワの代表作 1830年の七月革命《民衆を導く自由の女神》

1830年7月の市民によりブルボン朝のフランス王シャルル10世が倒されたフランス7月革命をテーマに描いた作品です。

絵の中央に大きく描かれている女性は、フランスという国家自体を擬人化した人物「マリアンヌ」。被っている帽子はフリジア帽と呼ばれ、自由になった奴隷が被るものとされ、この作品によって、女神のマリアンヌがフランス国家の象徴となりました。

右手で高く掲げている 「自由」「平等」「博愛」を意味するフランス国旗、左手には銃口に剣が付いたマスケット銃を手にしてて、市民を率いています。

作中には、マリアンヌの未日にはシルクの帽子を被ったブルジョワ階級の男性はドラクロワ自身と言われています。両手にピストルを持つ少年等、様々な階級の人々が描かれています。また、わかりにくいのですが、右端真ん中の茶色の建物はノートルダム大聖堂です。

フランスでは毎年その時代を象徴する美しい女性としてマリアンヌが選ばれ、カトリーヌ・ドヌーヴ、ブリジット・バルドー、ソフィー・マルソーなども。

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