金沢2日目その2 兼六園 ミシュランの観光版で最高ランクを獲得した理由がある。池と唐崎松がとても美しい
兼六園とは
水戸偕楽園、岡山後楽園とともに日本三名園の一つに数えられています。
日本三名園はすべて廻遊式と言われる庭園で、土地の広さを最大に活かして、園内を回遊して鑑賞する目的で作られています。
室町時代の禅宗寺院や江戸時代の大名により多く造営された形式で、日本庭園の集大成とも位置づけられる。最も一般的な形式は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)と呼ばれるもので、大きな池を中心に配し、その周囲に園路を巡らして、築山、池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した。園路の所々に茶亭、東屋なども設けられた。
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兼六園の歴史
前田家5代藩主・綱紀が金沢城に付属して造らせた廻遊式の庭園です。1676年、この土地に別荘を建て、周りを庭園化したのが作庭の始まりだと言われ、「蓮池庭」と呼ばれ、来藩した客人や重臣たちの接待、宴を楽しむ場として利用されたそうです。
1774年、11代藩主・治脩(はるなが)によって、翠滝と夕顔亭、同5年には内橋亭を造営
1822年、12代藩主・成広(なりなが)の時代に「兼六園」と命名
1874年(明治7年)、全面的に市民へ開放
1922年(大正11年)、国の名勝に指定
1985年(昭和60年)名勝から特別名勝へ格上げ
金沢城の石川門を出てすぐの入り口「桂坂」から入場
出入り口は全部で7つ。こんなに開放的な場所はどこにもないと思います。
しばらく進むと、すぐ「徽軫灯籠(ことじとうろう)」がありました。橋の上で、観光客がおおぜい記念写真を撮っているのですぐわかります。
徽軫灯籠は「二本脚の灯籠で、楽器の琴の糸を支えて音を調整する琴柱(ことじ)に似ていることが名前の由来」だそうで、パンフレットの表紙の絵にもなっている兼六園のシンボルです。二本の足はもともと同じ長さでした。でも現在、一本の足は石の上にあります。いつこのような状態になったのか、諸説はあれど不明だということです。さらに昭和に入って壊され、元の姿に修復しています。いずれも誰の仕業かわからない。こんな歴史も人気が集まる理由になっているのかも知れません。
手前に架かる橋は「虹橋(琴橋)」。たしかに琴の胴のように曲線を描いてました。
また後方に見える池は園内で最も大きな池「霞ケ池」です。
ここで、いつものようにドリンク休憩をしました。
園内には、金沢名物あんころ餅とお抹茶、お茶と茶菓でゆっくりくつろげる茶屋など、かしこに食事処があります。
でも私たちはいつも通り、行き当たりばったり、園内の真ん中あたりにある出世茶屋で、妻は缶ビールを、私は熱燗ワンカップを。。。
元気をいただき、散策再開です。
雪の到来に備え、既に雪吊りが施されいた。細縄を張って枝を釣り上げている
園内にはたくさんの樹木があります。中でもあちらこちらに見られる「唐崎松(からさきのまつ)」の姿かたちはとても美しいです。前田家13代・斉泰が松の名勝地、琵琶湖畔の唐崎から種子を取り寄せて育てたということです。
なお、本家本元の近江八景の一つ「唐崎の夜雨(やう)」で知られる名木「唐崎霊松」は、現在三代目の松として大正時代に植えられています。現在、昭和の台風の影響もあって老齢化が著しいとのことで、種から育てた後継樹やクローンの苗木を植えるなどの対策を進めているとのことです。
そのほか目に留まった建物や景観
園内最古の建物で、蓮池庭(瓢池周辺)にあった四亭の一つ夕顔亭(ゆうがおてい)。当時のままの姿を今に伝える茶亭です。
霞ヶ池から流れ出て瓢池に注ぎ込む翠滝(みどりたき)です。高さ6.6m、幅1.6mもあるそうです。園内にこんな立派な滝があるとは。
高さ約15mで、大きな根が地上2mにまで見えている「根上松(ねあがりまつ)」。曲がりくねった樹幹が海岸の砂浜や岩礁と相性がいいといわれる黒松です。これも園内の名物となっています。黒松は貪土壌で潮風にさらされる海岸のような過酷な場所でも生きられる樹種なので、防風林、砂防林として海岸によく植えられました。
根上松の近くにはヤマトタケルノミコトの銅像。日本最古の銅像で、明治10(1877)年の西南戦争で金沢から鹿児島に出兵した戦死者を弔うために建てられたそうです。
ここでSDカードの空き容量がなくなりました。
2013年から毎年ビデオを撮り続けていますが、初めてのことでした。トホホ。。。