金沢3日目 尾山神社の神門と市民の誇り旧制第四高等学校 どちらも前田家への畏敬の念を感じる
大手門口から金沢城の新丸広場、二の丸広場を廻り、玉泉院音丸庭園から鼠多門と鼠多門橋を抜けて、尾山神社、石川四高記念文化交流館、21世紀美術館西茶屋街、妙立寺、武家屋敷界隈へ。
夜は兼六園の夜景へ。「宇宙食堂」という一風変わったお店でランチを食べ、夕食は昨日に引き続き近江市場でお寿司をいただきました。
約140年ぶりに復元された「鼠多門」と「鼠多門橋」
「鼠多門」と「鼠多門橋」は、今年2020年7月に、約2年かけて約140年ぶりに復元整備され甦ったとのことでです。SAMURAIパスポートはこの復元を記念して発売されました。
「鼠多門」は全国でも例がない黒い海鼠漆喰の城郭建築だそうです。海鼠漆喰とは海鼠(なまこ)壁に黒漆喰を塗ったものです。左右の石垣に挟まれるように高さ約3メートルの門扉が、その上に木造2階建ての櫓が建っています。櫓は幅約22メートル、奥行き約7メートル、高さ約9メートル、延べ床面積は約324平方メートルです。
一方「鼠多門橋」は木の橋です。鋼材を木材で覆うといった工夫がされ、安全基準を満たしているということです。長さは32.6メートル、幅4.3メートルあります。
「鼠多門橋」を渡って「尾山神社」へ
前田利家公と正室お松の方を祀る「尾山神社」
「鼠多門橋」を渡って左に降りて行くとすぐ「尾山神社」の東神門でした。さっと通り抜けてしまいましたが、後で調べてみると、旧金沢城の二の丸の唐門で、昭和38年に移築したそうです。焼失を免れた貴重な建造物だそうです。
さて、尾山神社は加賀藩祖・前田利家公と正室お松の方を祀る由緒ある神社です。
東神門を入って左手には大きな庭園「神苑」があります。旧金谷御殿の庭園で、古代舞楽の楽器を模した地泉廻遊式の名園だそうです。その先には、槍を持った「利家公像」と「お松の方像」が立っていました。
拝殿の前には朝から、ビジネスマンの方がお参りしていました。前田利家公にあやかり「文武両道」「必勝」のご利益を、また「夫婦円満」「子宝安産」を祈願される方が多いそうです。夫婦仲は円満で、2男9女と、子宝に恵まれたそうです。
最後に、観光スポットとして有名な重要文化財となっている「神門」から出ました。
和漢洋の3つの建築様式が用いられ、擬洋風建築と呼ばれる三層構造の木造建築です。下から一層目は白漆喰と煉瓦と戸室石で覆われ、二層目、三層目は第三層は四面五彩のギヤマン張りと呼ばれるステンドグラスがあります。江戸時代、ギヤマン張りとは彫刻をほどこしたガラス製品を「ギヤマン彫り」と呼んでいました。第三層目の天辺に設置されている避雷針は日本最古です。
「尾山神社」を後にし、百万石通りを歩いて「石川四高記念文化交流館(旧制第四高等学校)」へ
金沢市民の誇り「旧制第四高等学校」前田家が開校費用の3分の2を寄付した
旧制第四高等学校は、1887年(明治20年)4月金沢市に設立された官立旧制高等学校。略称は「四高(しこう)」。
全国39の旧制高等学校の中にあって、明治期に創設された旧制一高から旧制八高までの8校(1886年~1908年創設)は、政官界に卒業生を早く送り込むなど優位に立っていたため、「ナンバースクール」と呼ばれました。あくまで慣習的な愛称でした。東京一高、仙台二高、京都三高、金沢四高、熊本五高、岡山六高、鹿児島七高、名古屋八高です。
繁華街、香林坊の隣りに位置する「いしかわ四高記念公園」の中に「旧制第四高等学校」はあります。
「四高」が昭和25年に閉校となり、その後置かれた「金沢大学」理学部が昭和38年に校舎が移転しました。この公園はその跡地です。公園として整備され、昭和43年に一般開放されました。平成26年には、新しい名称を一般公募して「中央公園」から「いしかわ四高記念公園」改めています。
「四校」のレトロな雰囲気を漂わせる赤煉瓦の建物だけでも、一見の価値があると思います。
パンレットにコンセプトが書かれています。
まなぶ ふれあう ここから広がる
「石川四高記念館」と「石川近代文学館」で構成され、兼六園周辺文化の森の新しい「学びとふれあいの複合文化スペース」として、平成20年4月に生まれ変わりました。
パンフレットより
「石川四高記念館」は、当時の制服や貴重な資料など、四高生を育んだ風土と時代を知るための展示をしています。また、教室は学習や発表の場として一般利用できます。金沢市民の中にしっかり溶け込み、そして何より、四校生は近代日本のエリートとして金沢を牽引した存在として、「しこう」という呼び名で尊敬を集め、今でも市民の誇りなんだということが分かります。
一方、「石川近代文学館」は石川県ゆかりの文学者の著書・遺品・愛蔵品等を一堂に集めた総合文学館で、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星等、石川県ゆかりの文学者の資料が展示されてます。
「森の都」が金沢のキャッチフレーズ
パンフレットに”兼六園周辺文化の森”と書かれているように、金沢はまちづくりの基本理念として「森の都」を公式に用いています。
既に1932年(昭和7年)に作られたここ四校の寮歌で「森の都」と歌われています。さらに1974年(昭和49年)には金沢市議会が「緑の都市宣言」をし、その宣言文中に「森の都金沢」と記されています。急激に緑地が減少する高度経済成長期の前に、こうした緑を大切にする文化があったことに驚きます。
金沢市に先行して「森の都」をキャッチフレーズにした都市があります。熊本市です。1928年(昭和3年)制定の熊本県立第二高等女学校の校歌に、1930年(昭和5年)制定の熊本市歌の歌詞に、それぞれ「森の都」と歌詞にあります。こちらも、1972年(昭和47年)熊本市議会が「森の都宣言」をしています。
熊本市は妻の実家があったので幾度となく訪れる機会がありました。熊本城の一帯は確かに緑が多く、回りにも大樹がいくつも立っています。でも「森の都」と感じたことはあまりありません。何が違うのか。。。今度熊本市に行った時はよく見てみようと思います。
ついでに調べてみると「森の都」とほぼ同じ意味の言葉をキャッチフレーズにしている市が、他にもいくつかあります。仙台市の「杜の都」、盛岡市の「杜と水の都」、青森市の「青い森の都」 など。
金沢市民の前田家への畏敬の念を感じずにはいられない
”金沢といえば「加賀百万石」”だと誰もが知っていても、石川県にあることを知らない人は意外に多いのではないかと思います。加賀藩は、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とし、藩主の前田氏は外様大名ではありましたが、徳川家との姻戚関係が強く、大名中最大の102万5千石でした。また、極官も従三位参議と他の大名よりも高く、また伺候席も他の外様の国持大名は大広間でしたが、前田氏は徳川御三家や越前松平家などの御家門が詰める大廊下と、御三家に準ずる待遇であるなど、他の外様大名とは別格の扱いでした。
四校の開校でも費用の3分の2を前田家が寄付していることからも、地元市民はやっぱり前田家に対する畏敬の念が強いのだと思います。ここ四校を含め、学問・文化・芸術・伝統工芸といったあらゆる分野で、前田家の存在の大きさは計り知れない、そんな感じを強く抱きました。
次は「21世紀美術館」へ向かいました。
21世紀美術館 平日、しかもコロナ禍の中で、チケット売り場は長蛇の列
10時半ごろに着いたのですが、チケット売り場があまりの長蛇の列だったので、諦めました。北陸新幹線の開業で一層混雑しているとはいえ、この日は平日、しかもコロナ禍の中でこの状況です。普通には入れるチャンスは開場の10時前に並ぶこと、だけかもしれません。何か対策しないといけないですね。
屋外に色鮮やかな展示物ありました。妻が「きれいだからこれだけ撮って!」と、太陽の日差しにきれいに反射してました。
後で調べてみると「カラー・アクティヴィティ・ハウス」と言って、三原色で渦巻き状になっていて、見る角度で、ときどきで色合いが変化するようです。真ん中に電球が点灯するとより色彩の変化が楽しめるようです。
まだ11時ですが、ランチにすることにしました。
宇宙食堂のとんバラ定食は最高に美味い
google mapで探してると、21世紀美術館から500メートルほどの場所に「宇宙食堂」という、一風変わった名前の店がありました。安くて評価もいいようなので行くことにしました。
大通りから一本入った通りにあります。でも大きな看板が出ているので迷うことはなかったです。店は看板の下を通った奥まにあります。
ここで、ハット、思い出しました。「まさか!」 以前、ネットで金沢を調べていた時に、まさに奥に進んでいくと暖簾と入り口があって、入るとカウンター、カウンターの中は調理場、まさにこのシチュエーションでした。たまたまこの店の紹介があって大変印象深かったので覚えてました。
おそらく、ご両親と息子さんの3人の家族経営だと思います。厨房ではお父さんが大きな鉄板の上で調理して、奥さんが調理した料理と、ごはん、みそ汁、飲み物を運び、息子さんが接客、こんな感じでした。間違ってたら申し訳ないです。。。
まだ11時前後だったので、お客さんはひとりだけでした。
カウンターに座ってまず「生中2つ!」
とんバラ定食、牛レバー定食をいただきました。キャベツの敷かれた皿に盛られた豚バラと別添えのタレ、ご飯とみそ汁、漬物、それとお茶。このタレは最高に美味しかったです。牛レバーも柔らかくてうまかった。他に、もやしイタメ、ギョウザもいただきました。
料理が美味しかったのでつい、生中もう一杯ずつ頼んだところで、息子さん?から「ビールは2杯まででお願いいたします!」とダメ押しされました。
ここは飲み屋ではないので、当たり前ですね。
とんバラ定食は金沢のB級グルメとして有名だということです。納得です。
美味しいランチに大満足して、この日もすごく暑かったので生ビールで元気をもらって、「西茶屋街」へ向かいました。ここから約700メートルです。