巨匠ピカソ美術館 収蔵数約5,000点に及ぶ一作家の美術館としては世界最大

パリ3区 マレ地区

「ピカソ美術館」は古い街並みと建物が残るマレ地区にあります。

私たちがこの美術館に入れたのは2018年のこと

「ピカソ美術館」は2009年に改修工事が始まり、当初2011年工事完了の予定が、遅れに遅れ、2014年10月25日にようやくリニューアルオープン、28日より一般公開されたとうことです。

私たちはそんなことも知らず、2012年と2013年、2度「ピカソ美術館」の近辺を探せど探せど見つからず、2015年のときは、どういう訳か私たちには「ピカソ美術館」は見つけられないと妙なあきらめがあり、行こうともしませんでした。2018年、気を取り直して、もう一度探してみようと向かったところ、あっさり見つけることができました。

「(改修工事のこと)そういうことだったのか」と後から知ったのは最近のことです。事前に調べておけば。。。。準備は大事です。

なお、改修工事を機に収蔵品の世界巡回展が開催され、日本では2008年10月4日から12月14日まで、2つの美術館で同時開催となったということです。東京の国立新美術館で「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」、また東京のサントリー美術館で「巨匠ピカソ 魂のポートレート」です。出品は両館合わせて約230点と多くの作品が展示されています。

1985年に「国立ピカソ美術館」開館 作品は5,000点に及ぶ

美術館の建物は、もともと塩税徴収官の邸宅であったことから「塩の館」と呼ばれた歴史的な建造物です。ヴェネツィア共和国の大使公邸や学校として使われた後、1964年パリ市に買収されていました。建物だけでも一見の価値があると思います。

フランス政府は遺族に対して、ピカソの膨大な作品を相続税として徴収することを了承することでフランス政府に納められました。

そして、この「塩の館」を改造して1985年に「国立ピカソ美術館」として開館しました。

一作家の美術館としては世界最大の規模を誇り、ピカソの作品だけで絵画203枚、彫刻158体、陶器作品88作、ドローイング約1500枚、印刷物約1600枚、スケッチブック33冊に及びます。ピカソの作品の他にも、ピカソが収集していたブラック、セザンヌ、ドガ、マティスなどの作品を含め、絵画、彫刻、デッサン、陶器、版画のほか、直筆の書簡や写真なども収めており、収蔵数は全体で約5,000点に及びます。さらに、ピカソが交流も深かった印象派画家の作品も多くみられます。

順路に沿って展示スペースを進んで行きます。青の時代、バラ色の時代、キュビスム、新古典主義、シュルレアリスムと年代順に展示されている作品を、ピカソの画風の変化を辿りながら鑑賞できます。「青の時代」の代表作『自画像』、『籐椅子のある静物』、『肘掛け椅子に座るオルガの肖像』、『浜辺を駆ける二人の女 (駆けっこ)』、『牧神パンの笛』、『ドラ・マールの肖像』、『接吻』など。

各時代、その数の多さからも、同じ一人の人物の作品とはとても思えないと思います。

いくつもの彫刻の前で、ピカソがタバコを持って立っている大きな写真がありました。

「ピカソ美術館」は世界に11か所もある

「ピカソ美術館」は世界11か所に存在し、フランスには、パリ以外にフランス南部地中海沿いのニースとカンヌの間にあるアンティーブと、またそこから車でわずか7キロもないヴァロリスにあり、3つの「ピカソ美術館」が存在します。

高知新聞の夕刊に、ヴァロリスに「ピカソ美術館」が開館された記事が載りました。ここヴァロリスの陶芸工房は、ピカソが最後の余生を共にした2番目の妻、ジャクリーヌ・ロックと出会った場所です。

陶芸作品への熱中が始まった。そしてピカソがデザインしたものは、ラミエの所で働いていた熟練工によって忠実に複製された。ピカソの存在によって、ヴァロリスの製陶は息を吹き返していった。ピカソ70歳の誕生日をヴァロリスの製陶職人らが祝った。その宴席は、町の小さな礼拝堂で行われた。ピカソはその場で礼拝堂に壁画を描くことを約束する。大作「戦争と平和」は、世界各地を巡回して高い評価を得た後、ヴァロリスに戻り、礼拝堂の壁画となった。小さな町の礼拝堂はこの大作を収めるピカソ美術館となった。

高知新聞 平成16年4月6日付夕刊掲載

フランス以外では、祖国スペインには1963年に青年時代を過ごしたバルセロナ、2003年に生まれ故郷、南部アンダルシア地方のマラガに開館しています。その他ブイトラゴ・デ・ ロソヤオルタ、ドイツ、スイスにも一つずつ存在します。

下のサイトではピカソの生涯を説明しています。

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