2019年7月16日 / 最終更新日時 : 2020年10月3日 Parisit-satoru パリ シャンゼリゼ大通り―凱旋門からコンコルド広場まで、幅100メートル約3キロものショッピングとグルメの大通り 「オー・シャンゼリーゼ」 Les Champs-Élysées は皆さん一度は聞いたことがあると思います。 約30年前はじめてシャンゼリゼ通りを歩いたとき、この歌を口ずさんでいた記憶があります。もちろん、 「オー・シャン […]
2019年7月13日 / 最終更新日時 : 2020年10月3日 Parisit-satoru パリ 花が咲き誇るジヴェルニー ―クロード・モネが40年もの半生を絵に注いだ場所 睡蓮の池と太鼓橋は絵のように美しかった モネがここに越したのは1883年のこと。ジヴェルニーはパリから北西約80kmの場所にあります。2度目の妻アリス・オシュデと8人の子供たちの10人の大家族が、この小さな町に越してきます。 ポール・ディラン=リュエルがモネを […]
2019年7月12日 / 最終更新日時 : 2020年10月3日 Parisit-satoru パリ 印象派の先駆者エドゥアール・マネ―「印象派の父」と呼ばれることを拒み続け、アカデミーに認められることこそが夢だった。しかし叶わなかった エドゥアール・マネは「印象派の父」と呼ばれ、近代絵画への道を開いた第一人者と言われています。今までの写実主義から印象派へ導いた人物です。 マネは1832年パリの裕福な両親(ブルジョアの母と高級官僚の父)の間でに生まれます […]
2019年7月7日 / 最終更新日時 : 2020年10月3日 Parisit-satoru パリ エトワール凱旋門はナポレオンが作ったアウステルリッツの戦勝記念 とにかくでかいことに驚く。でも遠くからではわからない エトワール凱旋門には4度登りました。ここでは省略して「凱旋門」とだけにします。 凱旋門と言えばイングリッド・バーグマンが主演した映画1948年公開の「凱旋門」を思い出します。日本では1952年公開です。 小学生のころテレ […]
2019年7月5日 / 最終更新日時 : 2020年3月2日 Parisit-satoru パリ 印象派を象徴する「光の画家」クロード・モネ―「睡蓮の連作」だけでも200点の作品を残した クロード・モネは日本の多くの方がご存知の印象派の画家ではないでしょうか。 オランジェリ―美術館にある2つの部屋一面に飾られたモネの「睡蓮」は圧巻でした。 パリの学校で学びました。またパリで印象派の画家と一緒に絵を描いてい […]
2019年7月3日 / 最終更新日時 : 2020年2月4日 Parisit-satoru パリ モンマルトルのカフェには、毎夜、マネを中心に、印象派画家が集まって絵画論を交わした モンマルトルには、印象派画家が通い詰めて、多くの作品の舞台となったカフェがたくさんありました。 その中心にはいつもエドゥアール・マネがいました。マネは既に1850年代半ば頃からいろいろなカフェに通っていましたが、1864 […]
2019年7月3日 / 最終更新日時 : 2020年10月3日 Parisit-satoru パリ 印象派画家マネ、ルノワール、セザール、ピカソが生活の拠点としたテルトル広場 今も画家たちに引き継がれ、伝統と文化が息づいている 18区 モンマルトルの丘 テルトル広場(テルトルは平坦地の頂上ないし小さな丘を意味する)はモンマルトルのまさに中心にあり、長い間、印象派、キュピリズム、シュルレアリスムの画家たちの本拠地でした。 マネ、ルノワール、セザー […]
2019年6月17日 / 最終更新日時 : 2021年8月16日 Parisit-satoru パリ 是非、1度は泊まって欲しいとホテルと旅館があります。 旅行先と宿泊したホテルです。もちろん、妻の希望が最優先です。 健康とお金がいつまで続くか心配です。決して無理せず。。。です。 アイキャッチの写真は、ロサンゼルスの「ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド」(略称「USH」)で […]
2019年6月13日 / 最終更新日時 : 2019年10月15日 Parisit-satoru パリ サクレ・クール大聖堂の塔(ドーム)は見晴らしも絶景で、なにより観光客が少ないので、かなりお薦めです。 2018年、初めてサクレ・クール大聖堂の塔に登りました。 入口が分かりにくいので、事前に塔に登れるということがわかってないと、まず気が付くことはないと思います。 ノートルダム大聖堂の塔や凱旋門は大人気なので、人もごった返 […]
2019年6月12日 / 最終更新日時 : 2019年12月26日 Parisit-satoru パリ ロマネスク様式とビザンチン様式でできた真っ白な大聖堂サクレ・クール大聖堂の中に入ります 1875年当時は普仏戦争(1870年)とパリ・コミューン(1871年)の直後で暗い時代でした。命を落とした市民を讃え、カトリック教徒の心を癒すための公共の建造物として建立することが決まりました。 そして1877年から40 […]